釣りというものについて考える
釣りは「一生の友」か
いや、いつかは飽きる

釣りにしろ何にしろ
長く続けているといつかは飽きてくる
どんなに楽しい釣りでも
必ずいつかは飽きる
これは避けることができない
なぜなら
それはヒトのやることだからである

ヒトは他の動物と違って
同じことを繰り返すことに飽きる性質がある
それを良い意味では向上心と言うが
平たく言えば飽き性ななのだ


釣りを覚えた人が
その面白さや奥深さに魅了され
「我が人生に喜びを見つけたり」
と思うことはよくある
しかし
それも束の間のことである
いつまでもそう思い続けられるほど
人間の「飽き性」というものは易しくはない

こんなことを
釣りを覚えたてのビギナーや
釣りの面白さがわかりはじめた若い人に言うのは興醒めも甚だしいのだが


中国の故事に

 一日愉しみたければ酒を飲むこと
 一年愉しみたければ結婚すること
 一生愉しみたければ釣りを覚えること

というのがあるらしい。

言い得て妙である
たしかに「釣りは一生の友」であるかも知れない
しかし
楽しみの最高峰に推された釣りでさえも
いつかは飽きてしまうのだから
ヒトといものはまったく困ったものである

あるとき
ラジオで永六輔さんが
『初めてってことは何でも感動的だね』
と言っておられるのを聞いた
おそらく男女の目合のことを言ったのだろうが
これは釣りにも当てはまる

つまり
どんな釣りでも
ビギナーのうちは釣れるとそれだけで嬉しいものである
世の中にこんなに楽しいことがあったのかと
感動的ですらある
特に初めて釣れた一匹は
たとえどんなに小さくても
大きな喜びと満足感を与えてくれるのである

しかし
それは初心者のうちだけだ
慣れてくると一匹や二匹では不満になる
最初の感動をすっかり忘れ去り
もっとたくさん釣りたいと思うようになる
まあ
それが人情というものだが

やがてウデが上がってたくさん釣れるようになると
今度は数では満足できなくなる
小物ばっかりだと不平を言うようになる
少しでも大きな魚が釣りたくなる

そして
大きいのが釣れるようになると
こんどは違う場所で釣りたくなったり
人とちがう方法で釣りたくなったり
あるいは別の魚を釣りたくなったりする
釣り人の欲求は止まることを知らない

こうして釣り人の多くは初心を忘れ、可愛げのない釣師になり上がるのである。
「ヒトという動物の欲深さは地球を破滅に追いやる」というのは、まんざら大袈裟な話ではないなと思う。

名人と呼ばれ
師匠とあがめられ
やがて円熟期に達すると
やる前から結果が読めるようになる
釣る前から釣果がわかるようになる
こうなると
好奇心や探求心といったものは
完全に消失してしまい
悦びや愉しみを
どこに求めるかに苦労するようになる
釣り人は
ウデを上げるたびごとに
達成すべき目標をひとつづつ失ってゆくのである

故開高健は
これを「知恵の悲しみ」と言った
人間、浅知恵のうちが華だというのである
知れば知るほど
賢くなればなるほど
残された喜びや楽しみは少なくなってゆき
やがて為すべきものが何もなくなってしまうという
これまた言い得て妙である
知恵の代償は計り知れず大きい

自分の胸に手を当てて考えてみよう。

「あなたは釣りに飽きていないか?」
「惰性で釣りをしていないか?」
「釣りを始めたころのあのトキメキが今もあるか?」

かく言う私がまさにその通りである
ヘラ釣りに熱中して飽きて
チヌ釣りに没頭して飽きて
バス釣りにのめり込んで飽きて
スズキ、シイラ、GT、虹鱒、岩魚、サクラマス、メバル‥‥‥
ありとあらゆるものに頭を突っ込み
取るものも取りあえず釣りまくり
ことごとく飽きてしまった
たしかに
やればやるほどウデは上がる
しかしその代償は大きい
夢の多くを自ら食い潰してしまったのである
まるで自分の首で自分の絞めているような気がする

さて
知恵の悲しみを克服する方法はないものかと
日々模索する
確かな答えはなかなか出ない
しかし
それでも少しは光明が見えてきた

それは
「釣りの本質を見失わないように心がける」
このことではないかと思う
本質を見失わないこと
つまり
本質を見極めることである
さすれば
たとえ年老いても「釣りは一生の友」と言えるのではないか

この次は「釣りの本質」について考えてみることにしよう









































































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by angling_net | 2010-03-23 02:49 | 独り言


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